マレーシアで最初にロックダウンが実施されてから間もなく一年。
もう慣れたというか飽きたというか。
ちょっと偏った記事になりますが、読んでくれたら嬉しいです。
(2021年2月)
1.ロックダウン/その他経緯(概要のみ)
【2020年】
- 3月18日~31日までMCOが発令
- 4月14日までMCO延長が決定
- 4月28日までMCO再延長が決定
- 5月12日までMCO再延長が決定
- 5月4日~6月9日までCMCOが発令
- 6月10日~8月31日までRMCOが発令
- 8月1日、GACKTがマレーシアから日本へ一時帰国(無事に「芸能人格付け」番組放映)
- 12月31日までRMCO延長が決定
【2021年】
- 1月14日までRMCO延長が決定
- 2月18日まで再MCO
- 3月4日までMCO延長(←本記事執筆時)
==用語説明==
- EMCO:強化された行動制限令(最強)
- MCO:行動制限令(強)←マレーシアで最初に発令されたレベルがこれ。
- CMCO:条件付き行動制限令(緩和)
- RMCO:回復のための行動制限令(ほぼ日常)
上記のように刻々と変化する情勢に、「疑心暗鬼」「戦々恐々」「右往左往」しながらCOVID-19と共存してきたマレーシア生活。
2.MCO生活の始まり
最初のMCOが発令された時、私は国内線で1時間程飛んだ現場でトラブル対応のため徹夜作業中だった。
夜が明け、KLのオフィススタッフから、翌日からオフィスクローズになる連絡を受けた。
州を跨いでの移動も困難になるため、復路のエアチケットを確保し夕方のフライトで無事に帰宅。
明日から始まるお籠り生活のため、すぐに買い出しへ急行。
近くのスーパーへ到着すると想像通りの展開。
- お約束のトイレットペーパー買占め現象(オイルショック時のトラウマなのか?)
- 乾物類/缶詰の品薄
- 飲料水売り切れ(マレーシアでは水道水を飲むことができないため必須アイテム。我が家は常時多数ストック)
- レジへの長蛇の列
- 口論し始める欧米系夫婦
必要な物品を調達し帰宅。
この時点では、2週間のMCOとアナウンスされていたが、まさかこの後2か月弱もこの状況が継続し、さらに断続的なMCOが一年先まで継続するとは想像していなかった。
会社でもローカルスタッフが情報の整理に奔走している。スマホの通知音が鳴り止まない。
医療、石油、インフラなどのエッセンシャル産業を除き、全ての企業活動が大幅に制限させることに。
2.MCO生活
マレーシアでは、コロナ禍の国民の行動は、日本と比較するとかなり厳しく制限されている。
政府からの「要請」ではなく「命令」であるため、従う必要がある。
全マレーシア在住者が、コロナの感染を抑制するための指針となるSOP(Standard Operating Procedure)に従い行動することになる。その一部を紹介すると、企業活動の制限や、州を跨ぐ移動の方法はもちろん、
- 移動可能な距離(特段の理由や行政からの許可が無い場合は10km以内)
- 一台に乗車できる人数制限(頻繁に変わる)
- 買い出しに一緒に行ける人数(最初のMCO下では「生活必需品の買出しは一世帯一人まで」)
- 飲食店の営業形態や営業許可時間(「デリバリーや持ち帰りのみ許可する」など)
- 入店前の検温と移動者追跡システムへのチェックイン
これらの他にも、屋外/屋内スポーツや各種イベントの開催に関しても、詳細で厳格な制限が課せられている。
また、感染者の状況に合わせてMCOのレベルが頻繁に変更になる上、一回目のMCOでは禁止されていたことが二回目のMCOでは緩和されている等のようなこともあり、変更時には常にその規約を確認しながら行動する必要しなければならず、精神的に疲弊する一因。
特に車での移動に関しては各所に検問が設置されて、通勤時や退勤時には激しい渋滞が発生するなど、尿意と戦った日も少なくは無かった(笑)。
MCO下では会社業務はもちろんのこと、プライベートにおいても生活スタイルが一変し、主に以下の二点が家族にとってもちょっとした変化。
■学校閉鎖
我が家は8歳の(小学2年)息子をクアラルンプールにある日本人学校に通わせている。
MCO開始時はちょうど春休みだったが、1学期が始まる4月からは、学校への登校禁止命令に従い、全てリモート授業に切り替わった。基本的にはZoomとYouTubeにアップされた教材を使用し、iPadやPCを介して授業を実施。毎年4月に新任の教師が着任するが、国境閉鎖に伴いそれも叶わなかったため、授業によっては日本とマレーシア間でZoom授業を実施することもあった。
またリモート授業を開始した当初は、各家庭のシュールな会話がZoom参加者全員に拡散されたり、下着姿のお父さんの映像が公開されるなど、教室では絶対にありえない光景を目撃するくらい、不慣れなリモート授業に先生も各家庭も翻弄されていた。
国語や算数などはまだ良いが、体操やダンスが主となる体育の授業は、予めYouTubeに収録してある先生の動きに合わせて、画面の前で一人健気にダンスするわが息子を見て少々切ない気持ちになった。
リモート授業も悪くは無いが、通学のバスや教室の中で育む友達との人間関係や、楽しみの機会が奪われてしまっていることは不憫。同じコンドミニアム内に同級生の友達が多くいることがせめてもの救い。
通信簿やMCO前から授業の一環で育てていたトマトや教室に残された教材も、密を防ぐために時間を指定されて、親がドライブスルー方式で受け取りに行くなど、学校の活動も去年とは大きく変わった。ただその分多くの家庭で、父親が学校活動により多く関わるきっかけにもなったのは確か。自分の会社でも在宅ワークの期間が多く、私も、授業を受けている息子の新たな一面を見ることができ新鮮だった。
思い返せば、この1年間で学校へ登校できたのは数週間程度だった。
■健康管理
断続的に発令されるMCO期間中は、その内容によっては自分が住んでいるコンドミニアムのジム、プール、各種球技施設や公園などの共有エリアは全て閉鎖。
一番厳しい期間には、不要不急時以外は敷地から一歩も出るな!との命令が下されるため、文字通り缶詰状態に。ただでさえ車社会のマレーシアで、さらに外出の自由を奪われると、体を動かすチャンスが激減。
40歳を過ぎた私の身体にとっても、息子のこれから作り上げていく身体にとっても良い環境とは言えず、
朝と昼間に自宅で筋トレ。筋肉に対してストイックに鍛え上げている日本の友人から遠隔で指導を受けながらとか、息子と共に縄跳びや、コンドミニアム内の階段昇降をしながらで何とか運動量を確保。
とは言え体重が徐々に増加傾向となり、体重計に乗るのも恐々。消費カロリーが極端に低下するため、摂取カロリーを意識して控え目にするなど、日々の涙ぐましいコントロールが功を奏し、一時「世界一恐ろしい絶叫マシーン」と化していた体重計という乗り物にも涼しい顔で乗れるように。
まだ辛うじてその面影が残るシックスパックが完全にワンパックにならないよう、これからも継続していくつもり。
世界が平常運転に戻るまで、まだもう少しの時間を要すると思いますが、もうひと踏ん張り耐えましょう!
では今回はここまで!!